1945年、ひろしまに人類はじめての原爆が投下されました。
続いて長崎にもう一発
そうして、ビキニ環礁で人類初の水素爆弾が爆発しました。

久保山愛吉さんが亡くなりました。
日本人は三度、原爆水爆の犠牲となったのです。

【後記(1983年5月)】

日本人ばかりではありませんでした。
ビキニ環礁の近くのミクロネシアの人びとは
水爆の死の灰をかぶりました。

島全体が汚染されてしまいました。
島を追われた人びとが、生まれ故郷ビキニへ帰った時、
残留放射能を受けてガンや白血病で倒れ、
傷つき、今も苦しんでいるのです。

焼津とビキニ。
それは宿命の兄弟となったのです。

(原爆の図 第9部 《焼津》 1955年 屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2m)